エリア情報
山々に囲まれ、空気と水と星の美しい街・井原。戦国時代末からの綿花栽培と江戸時代に伝わった藍の栽培をもとに、明治期には「備中小倉織」が全国に広まりました。備中小倉織は藍染の丈夫な厚手綿織物で、表が紺色・裏が白色。日本にジーンズが入ってくるより以前から現代のデニムに通じる織物として作られていことから、井原は「国産デニム発祥の地」と呼ばれています。
デニム生地やジーンズの生産は1960年代にはじまり、70年ごろには国内シェア70%を超えました。その後は海外勢との価格競争を経て、色味・風合い・手触りなど独自の価値と高い品質を追い求める高級路線へ舵を切ることで、世界中の高級ブランドから一目置かれる「デニムの聖地」へと生まれ変わりました。
こうした井原のすごさは、一部の職人さんや企業にとどまりません。地域全体でデニムを盛り立てようという熱意があるのです。例えば休耕田や畑を利用し、地域住民や井原高校の生徒さんがタネから綿花を育てて収穫。地元の工場でデニムにし、市内の新小学1年生に「ハートフルデニムバック」としてプレゼントする取り組みを行っています。
日本綿布株式会社 / 社屋
ブランドストーリー
1917年創業、2017年に創立100年を迎えた「日本綿布株式会社」さん。時代の変化・荒波を乗り越えて100年以上継続して事業を行うことは並大抵のことではありません。創業から半世紀以上経った1985年、デニムメーカーとしては後発でしたが、自社が持つ旧式の織機や長く受け継がれながら進化してきた職人の技が生かせる新たな事業として新規参入しました。
日本綿布さんは、備後絣(びんごがすり)の伝統的な草木染めや藍染めの染色技術、備中小倉織からの撚糸や織布の技術を発展させるだけでなく、サンフォライズ(防縮)加工や洗い加工の設備投資も積極的に行い、お客さまの多様なニーズに応えられる一貫生産体制を築いてきました。
また、中白糸に多層構造を持たせることでデザイン性の高い色相を演出する「グラデーション・ファイバー」、顔料をデニム用のタテ糸に固着させて生地の立体感をキープする「ソリッド・ファイバー」技術を世界に先駆けて開発・実用化するなど、100年老舗企業にあぐらをかかない新しい挑戦を続けています。
このように伝統も実力も兼ね備え、国内外のハイブランド・高級アパレルへ生地を提供していますが、最もこだわっているのはヴィンテージのシャトル織機で織るセルヴィッチデニム。その独特の手触りや風合いは、手間ひまかかるシャトル織機を経験豊富な職工さんが絶妙な具合で操ることで生み出されます。今は生産が終了していて貴重なシャトル織機を150台も保有していることからも、オーセンティックな耳付デニムにこだわる本気が伺えます。
開発秘話
井原地域全体がそうであるように、日本綿布さんも願う「地域の身近な存在でありたい」という思い。次世代に対して井原デニムの歴史やプロダクトを伝え、地域に根差した活動を継続的に行っていきたいと考えています。
しかし、世界に誇る井原デニムの生産工程を人に伝える時、残反や生地の耳部分についてはどう説明すれば?生地づくりにおいて必ず発生するこのロスは、かねてからの悩みでした。そんな時、残反を活用したはぎれネズミで繊維問題に取り組む「DN・ねこアースプロジェクト」の話が舞い込んできました。
自分たちにできることがあるならと積極的に参加を決意くださった日本綿布さん。試作を進めていた時、本来であればゴミ箱に消えゆくものが「ネズミ」として生き生きし始めたことにハッとし、残反デニムが蘇ったと感じたそうです。
それからはワクワクと楽しさいっぱいの作業となり、中綿にはフワ耳(ワイド幅生地の端耳)を入れようとか、尻尾の先まではぎれで作ろうとか、“もったいないから捨てないで”をテーマに、ネズミの内側も外側も100%の自社デニム生地にこだわった結果、デニムのクールな見た目にエアリーな優しい感触のネズミが誕生しました。
井原産デニム生地のはぎれネズミ